1185年にライバルの武士団・平家との戦いに勝利した源氏の棟梁源頼朝は、朝廷から1192年征夷大将軍(将軍)の位を与えられ、我が国は、鎌倉を中心とした武家政権「鎌倉幕府」による統治体制へと移行し、「鎌倉時代」と呼ばれます。
鎌倉時代中期1274年と1281年の2度に渡り、我が国は、大陸(モンゴル、中国、朝鮮など束ねる大帝国「元」)による侵略(元寇)を受けますが、鎌倉武士の活躍と気象条件の齎す幸運(神風)により、これを撃退。
しかしながら、この事件を機会に鎌倉幕府の力は衰退し、楠木正成という天才的武将の抵抗に誘発された鎌倉武士、新田義貞、足利尊氏らの反乱により、元弘3年(1333年)鎌倉幕府は滅びます。
鎌倉幕府の滅亡後、再び京都の朝廷中心の政治が試みられます(建武の中興)が、多くの武士の支持を得られず、朝廷が2つに分裂(南北朝時代)、北朝から征夷大将軍(将軍)の位を認められた足利尊氏が、京都中心の武家政権・室町幕府を樹立し、「室町時代」と呼ばれました。
室町幕府は、もともと建武の中興に不満を持つ、各自の武士の力を借りて成立したこともあり、政権基盤が大変脆弱で、将軍の跡目争いを契機に発生した応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明11年))以降、幕府の統治は実質的に崩壊します。
我が国は、有力な武士団(大名)が割拠する戦国時代へと突入します。
★この時代の港区
⇒久国神社(溜池。寛政6年(1465年)太田道灌が江戸築城の際、城隍の鎮守として遷座。港区七福神の恵比寿)
⇒御穂鹿嶋神社(文明11年(1479年)創建の御穂神社と寛永年間(1624ー44年)創建の鹿嶋神社を平成16年(2004年)に合祀)
⇒高輪神社(明応年間(1492-1501年)に稲荷神社として創建されたと伝わる)