●縄文時代:実は「グルメな定住者」だった
縄文人は、ただ野山を駆け回っていたわけではありません。
・縄文のクッキー伝説:どんぐりやトチの実を粉にし、卵やイノシシの肉を混ぜて焼いた「縄文クッキー」が発掘されています。意外とハイカロリーで栄養満点!

・ポシェットを愛用:青森県の三内丸山遺跡からは、編み込みの「ポシェット」が見つかっています。中にはクルミが入っていたそうで、現代人と変わらない「おやつ袋」の感覚があったのかもしれません。
●弥生時代:格差社会と「おまじない」
稲作が始まり、ムラの中に「持てる者」と「持たざる者」が生まれ始めた時代です。
・歯を抜くのがトレンド?:成人の儀式として、健康な歯をあえて抜く「抜歯(ばっし)」が行われていました。抜く場所によって「出身地」や「既婚」などを表していたという説もあり、痛烈な身分証明書だったようです。
・お米は「赤かった」:当時の庶民が食べていたのは、今の白いお米ではなく「赤米(あかごめ)」が中心。パサパサしていて、蒸して食べるのが一般的でした。
●古墳時代:オシャレは足元から
巨大な古墳が作られる一方で、庶民は意外なところで工夫していました。
・靴を履いていた?:藁(わら)を編んだ草履(ぞうり)のようなものはありましたが、実は「地下足袋」に近い形状のものもありました。ただ、庶民の多くは基本「裸足」で、泥にまみれて働いていました。
・カマドの革命:この時代に朝鮮半島から「カマド」が伝わります。それまでは部屋の中央で火を焚いていたので煙たかったのですが、壁際にカマドができたことで、家の空気が劇的にクリーンになりました。

●飛鳥時代:意外とハードな「税」の暮らし
都が華やぐ裏で、庶民の負担はピークに。
・自分の足で納税:地方の庶民は、都(奈良など)まで自力で「特産品」を運ばなければなりませんでした。これを「運脚(うんきゃく)」と呼びますが、道中の食費は自前。都に着くまでに餓死する人もいたという、まさに命がけの納税でした。
・肉食禁止令のウラ側:天武天皇が「肉食禁止令」を出しましたが、これはあくまで「牛・馬・犬・猿・鶏」が対象。実はイノシシやシカは「山鯨(やまくじら)」などと呼んで、こっそり(あるいは堂々と)食べていました。
●奈良時代:名字がないどころか、名前すら適当だった?
当時の庶民(農民)には名字がありませんでしたが、それ以上に驚くのが名前の付け方の適当さです。
・見た目や状況で命名: 「鼻が大きかったから『鼻麻呂(はなまろ)』」「丸かったから『丸(まる)』」といった安直なものが多かったです。
・「戸籍」は税金逃れとの戦い: 当時は重税から逃れるため、働き盛りの男性を「女性」として偽って登録する**「偽籍(ぎせき)」**が横行していました。記録上、村の住人が全員女性になっているような極端な例もあったそうです。
税金として「自分の体」を差し出す(労役)のが一番辛かったため、わざと病気のふりをするための「仮病のハウツー」まで存在したと言われています。
●平安時代:庶民の主食は「黒いご飯」と「強飯」
貴族が真っ白な米を食べていた一方で、庶民の食事はかなりワイルドでした。
・蒸すご飯(強飯): 今のように炊飯器でお米を炊くのではなく、お米を蒸して食べる「強飯(こわいい)」が主流でした。かなり硬くて噛み応えがあったようです。
・おかずは塩: 贅沢品は望めず、基本は**「ご飯・塩・酢」**。たまに野草や魚の干物を添える程度でした。
また平安時代の冬は、現代の私たちが想像する以上に「命がけの試練」で、華やかな貴族文化の裏側で、人々は厳しい寒さと不足する物資に耐え忍んでいました。
・当時の建築(寝殿造)は風通しを最優先した夏仕様だった為、断熱性が0でした。
・冬は作物が育たないため、保存食に頼るしかなく、ビタミン不足→不足の状態で寒さにさらされる為、疫病の流行で命を落とす人が続出しました。
飢饉や疫病が重なった年(「養和の飢饉」など)の記録では、京都の街中だけで数万人規模の遺体が転がっていたという記述もあります。
そんな冬を生き延びた人々は、限られたリソースの中で以下のような対策をとっていました。
貴族の場合:物理的な遮断と重ね着
- 塗籠(ぬりごめ): 寝殿造の中で唯一、壁で囲まれた頑丈な小部屋です。ここに籠もって寝起きすることで、隙間風を防ぎました。
- 伏籠(ふせご)と火取(ひとり): 香炉の上に籠を被せ、その上に着物をかけて温める「衣服の暖房」を行っていました。
- 軟綿(わた): 現代の綿(コットン)ではなく、真綿(シルクの繭を広げたもの)を衣類の間に入れて断熱材にしていました。
庶民の場合:密集と工夫
- 竪穴式住居の継続: 貴族の家とは対照的に、地面を掘り下げた竪穴式住居は、地熱を利用できるため意外と保温性が高かったとされています。
- 藁(わら)の活用: 衣類の中に藁を詰め込んだり、床に厚く敷き詰めたりして、現代のダウンジャケットや断熱材のような役割をさせていました。
- 「寄り合い寝」: 家族や親族が一箇所に集まり、互いの体温で暖を取り合って寝ることで凍死を防ぎました。

●鎌倉時代:「二毛作」の始まりと、空前の「豆腐」ブーム
この時代から農業技術が進化し、人々の暮らしにバリエーションが出始めます。
・豆腐の登場: 中国から伝わった豆腐が、この頃から徐々に広まりました。最初は精進料理としてお寺で食べられていましたが、庶民にとっては「魔法の栄養食品」でした。
・お風呂は「蒸し風呂」: 当時はお湯に浸かるのではなく、サウナのような蒸し風呂が一般的。庶民は寺院が功徳(チャリティ)として開放する「施浴」によく通っていました。
●室町・戦国時代:意外と「高学歴」で「訴訟好き」
戦乱の世で荒っぽいイメージがありますが、実は庶民の知的水準が爆上がりした時期でもあります。
・村の自治(惣村): 村人たちが話し合いでルールを決め、領主と対等に交渉していました。もし領主が不当な要求をすれば、村全員で仕事をボイコットする「逃散(ちょうさん)」というストライキも辞さない強さを持っていました。
・字が読める: 寺子屋の原型のようなものが現れ、農民でも自分の名前や簡単な計算ができる人が増えました。戦国大名のハッタリを見抜くくらいには賢かったのです。
●安土桃山・江戸幕末:エネルギーに溢れ、現代にも通じる「遊び心」と「合理性」が詰まっていました。
①安土桃山時代の「ド派手」ブーム
信長や秀吉の時代(安土桃山)は、とにかく「派手で新しいこと」が格好いいとされる**「かぶき者」**の文化でした。
・戦国武将はスイーツ男子?: 砂糖が超高級品だった時代、信長は南蛮菓子(コンフェイト=金平糖など)を好み、客人に振る舞うのが最高のステータスでした。
・風呂は「蒸し風呂」: 当時はお湯に浸かるのではなく、サウナのような「蒸し風呂」が主流。安土桃山時代には、公衆浴場の原型ができ始め、社交場として賑わっていました。
②江戸のファストフード事情
江戸時代の庶民はとにかく気が短く、外食文化が非常に発達していました。現代のファストフードの原点は、すべてこの時代にあります。
・「握り寿司」は今の2倍のサイズ: 屋台でさっと食べるおにぎりのような感覚で、一貫が今の2倍から3倍の大きさ(おにぎり大)ありました。
・天ぷらは「串刺し」: 揚げたての天ぷらを串に刺して、スナック感覚で立ち食いするのが粋なスタイルでした。
・そばの「二八」の由来: 「2×8=16」で一杯16文だったという説と、小麦粉2:そば粉8の割合という説がありますが、当時の庶民にとっては「安くて早い」の代名詞でした。

③循環リサイクル
江戸は世界でも類を見ない、ゴミを出さない「循環型社会」でした。
・「灰買い」という職業: 竈(かまど)に残った灰まで買い取られました。灰は肥料や洗剤、染料として再利用されたのです。
・「古傘買い」や「古釘買い」: 壊れた傘の骨や、燃えた跡から拾った釘一本まで専門の業者が買い取り、徹底的にリサイクルしていました。
・究極は「下肥(しもごえ)」: 人間の排泄物は優れた肥料として、農家に売却されていました。都市部の長屋では、大家さんの貴重な副収入源になっていたというから驚きです。
④旅は大ブームのレジャー
幕府は移動を制限していましたが、「お伊勢参り」などの参詣目的であれば、庶民も旅に出ることができました。
・犬だけでお参り?「おかげ犬」: 病気で行けない飼い主の代わりに、首に「伊勢参り」と書いた袋と路銀を下げた犬が、旅人たちに助けられながら代わりにお参りに行くという、なんとも平和な光景が見られました。

・旅のガイドブック: 『東海道中膝栗毛』のような滑稽本がベストセラーになり、現代の旅行雑誌のような「名所図会(めいしょずえ)」を片手に、庶民は1日30km〜40kmも歩いて旅を楽しんでいました。
●全時代共通
・究極のリサイクル社会: 紙は何度も漉き直し(還紙)、服はボロボロになるまで継ぎ接ぎして(刺し子)、最後は雑巾にして、最後は燃やして肥料にする。庶民の暮らしは、現代もびっくりのサステナブルな世界だったんです。
当時の庶民の「たくましさ」って、なんだか元気をもらえますよね。
コメントを残す